まじめな話。

情報保障団

どーんといきなりと重いテーマですが…。

情報保障とは??その団体とは?

大学生のみなさん、この言葉を知っていますか?
もはや、うちの大学でも、
1〜3年のろう学生をはじめ、ほかの学生も
もうこの言葉にピンとこない人が増えているような気がします。



私たちが活動してきた目ゼミを立ち上げてからも、情報保障団については
ほとんど話題に触れないで来ました。
触れたとしても4年だけになってしまい、
情報保障に関する話題にはなっても、4年が中心に行うだけで
後輩たちはそれをどうすればいいのか何をしたらいいのか、
という話までには行かなかったような気がします。

このままで卒業するのは本当にこれからの情報保障のスタイルに
危機感を感じるので、

2002年から私が関わった情報保障団について
ここに載せようと思います。

あくまでもゆみ本人の記録、感想なので、
決して、団そのものの考え方と捉えないでください。


なぜ、いきなりこのテーマを載せたのか。

実は、今まで部屋の掃除をしていたら、
色紙と手紙がつまった箱がでてきました。
すっかり忘れていた思い出が一気によみがえってきました。

2002年のジョウホ団。
忘れもしないあの年。
初めて入ったジョウホ団で、初めて同期の3人と先輩2人で
手話班講師をやった年。

色々ありすぎた春休みが終わったあと、
手話班の人からたくさんの手紙と色紙をもらいました。

その手紙を読んでいくうちに。。
やはり、私の中で、「W大にはジョウホ団」は必要なのでは?と
思い始めました。
時間も休みもないジョウホ団だったけれど、
その倍、人とのつながりを強く感じた団だった気がします。
みんなと一緒に泊り込みで頑張ったこと、
情報保障の本当の意味をみんなで考えたこと、
たくさんたくさん、お金には換えられない貴重な3ヶ月間を
あの年にたくさん味わいました。

W大だからこそ出来た、ジョウホ団。

私はそう思うんです。

2002年、あの年を機に、ジョウホ団のスタイルは大きく
変わっていきました。
その原因のひとつに、ろう学生の情報保障に対する意識、
ジョウホ団でのろう学生にかかる負担の大きさ、
情報保障の意味がつかめないろう学生の多さ、

これらが大きく関わっているのだと思います。
W大には15人もののろう学生がいるにも関わらず、
情報保障に対して真剣に考えているのはヒトケタ。


他の後輩たちは、頑張りたいけど、
何をすればいいのか分からなくなっています。
それも、引き継がなかった私たちろう学生の責任でもあると思うんです。

そこで、私はここでも少しずつ、記録をのせていこうと
思います。
まずは、情報保障とは?から載せていくので、
みんな、見てくださいね。


下の子どもたちの上にマウスをおいてみてね☆

 

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